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1980s

1990s

2000s

2010s

2020s

1950s

1960s

1970s

日本から世界へ

5代目が起こす変革

フォーマル文化を拡充

ヘルスケア事業の強化

新たな挑戦

名立たるブランドと技術提携

百貨店の顔に

拡大する事業

1894-

起業

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1940s

風雲児の登場

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The first page of our history

日本の西洋化を見越し、起業

1903

1921

1927

1930

1939

2代目渡邊喜之助が業界発展に力を注ぐ

統制経済が強まる中で全日本既製服工業組合連合会理事として、業界発展に力を注ぐ。第1次世界大戦後、既製服業界が再編され、東日本既製服工業協同組合など、さまざまな組合活動に尽力した。

2代目渡邊喜之助が経営を引き継ぐ

喜之助の養子、2代目渡邊喜之助が社長に就任。経営を引継ぐ。

既製服業界の技術向上に力を注ぐ

渡邊喜之助は当時の業界団体である京浜羅紗商同盟会の第四部副部長に就任し、業界の発展に貢献。

日本を魅了する技

第1次世界大戦終結後の世界平和を記念し、日本の産業発展に資するために開催された「平和記念東京博覧会」にモーニングコートを出品し、入賞。来場者は約1100万人と空前の人出となった。

洋装専門の古着商「渡喜商店」を創業

一般大衆にまで、洋装文化を広める

久保田藩(現・秋田県)の藩主・佐竹氏の御典医を代々勤め、明治維新後は薬問屋を営んできた渡邊家。西洋式の風俗習慣・生活様式を推し進める明治政府の太政官令を受け、渡邊喜之助は「これから洋装の時代」と一念発起し、東京・日本橋に「渡喜商店」を創業。当時は珍しかった、和装は一切扱わない洋装専門の古着商を始める。

貴族が仕立てた洋装を民間に払い下げる役割を果たしていた古着商から、既製服の製造販売へとビジネスの業態を変化させる。それまで上流階級の嗜好品だった洋装を民間に普及させ、日本の服飾文化の発展にも貢献した。

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The revolution

未来を見据えた風雲児の登場

1942

戦後の復興と会社の再建。

事務所は2回の空襲で焼け出され、職人の家に仮事務所を設置し、従業員10人ほどで再建。当時は衣料品の円滑な配給を目指す「衣料切符規則」が制定され、配給制度から自由に物が買える時代へと変わりつつある時期だった。

1947

1948

日本のフォーマルの新様式
"ダブルの略礼服"を考案

礼服といえば注文仕立てのモーニングコートが主流だったが、國雄が新たにダブルの略礼服を考案する。第2次世界大戦後の日本には、洋服を新調する経済的な余裕がなく、汚れたワイシャツを着る方が多くいた。その装いを隠せるだけでなく、着物感覚で袖を通すことができた。

現・KINDWAREの生みの親、3代目渡邊國雄が経営を引き継ぐ

文学博士の肩書きを持つ國雄が夫婦養子として渡邊家を継ぎ、経営手腕を発揮。天候や流行に左右されない商品として、礼服事業に注力する。

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KINDWARE. Taking over Japan.

業界初進出!新たな百貨店の顔に

1950

1951

1958

工場をいち早く近代化

東京既製服製造卸協同組合の一員として、既製服の先進国であるアメリカ市場を視察。近代化されたアメリカ市場に倣い、すぐさま埼玉県で自社工場の建設に着手する。技術開発の強化へと動き出す。

業界初!百貨店に進出

髙島屋東京店(現・日本橋店)に業界初の「礼服コーナー」を設置する。帽子以外のフォーマルウェアをそろえた画期的なワンストップコーナーとしても注目される。

社名変更で新たな門出

創業者・渡邊喜之助の頭文字を冠した「渡喜」に社名を変更。ブランドロゴを一新した。

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The era of in-house production

事業拡大へ!
自社生産に踏み切る、新たな挑戦

1960

1966

1967

1968

50年以上続く、宮内庁御用達のはじまり。

皇居新宮殿の落成に際し、公式儀礼服一切のご用命をあずかり、1968年から宮内庁御用達となる。これを機に、さまざまな公的機関の礼装やユニフォームも手掛ける。

続々と工場建設

1967年に完成した宇都宮工場を皮切りに、1974年までの8年間で、小諸、那須、秋田の4工場を建設。

1969

本社新社屋が完成

7階建ての新社屋が東京・神田に完成し、日本橋から本社移転。

ニューフォーマルを体現するブランド「SOCIAL」誕生

冠婚葬祭以外の社交の場でもっと自由かつ開放的なスタイルを求める声が広がり、フォーマルを楽しむ新感覚のニューフォーマルブランドとして「SOCIAL」が誕生した。

初の自社工場を建設

近代化されたアメリカの仕立て工場に倣い、埼玉に初の自社工場を建設。略礼服とモーニングコートの自社生産に踏み切る。

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Going Global

日本の社交服から、世界の衣文化へ

1970

1971

英国王室御用達テーラー「HUNTSMAN」と技術提携

HUNTSMANとは

ヴィクトリア女王やエドワード7世をはじめ、多くのロイヤルワラントを授与され、チャーチルなどの各国首脳も顧客だったテーラー「HUNTSMAN(ハンツマン)」と技術提携を結ぶ。その目的は、「HUNTSMAN」が持つ一流顧客のフォーマル文化を日本に導入したいと考えたため。皮切りにテーラーの本場であるヨーロッパの一流の素材選定、縫製技術、スタイリングを習得し、カスタムテーラーの厳しい水準をクリアした既製服を日本で販売した。

HUNTSMANとの初めての仕事は、ヨーロッパ訪問を予定していた昭和天皇へKINDWAREからHUNTSMANの手紙をお届けすることだった。

洒落たデザイン、スマートなシルエット、洗練されたカラー、魅力的なファブリック、粋なコーディネーション、上質な趣味性の6つを柱にハンツマンスタイルを提案。「永遠のクラシックス」、「最上のベーシック」というコンセプトの下、さまざまな洋服に袖を通してきた人が最後にたどり着く、理想の服づくりを目指している。

業界初のテレビCMで認知拡大

「SOCIAL」の商標登録を済ませ、市場拡大へ。業界初となるテレビCMでは、当時、映画『若大将シリーズ』で青大将役を務め、親しみやすいイメージのあった田中邦衛氏をモデルに起用。「昨日と違うのぼく」というフレーズで一世風靡し、お茶の間の認知を広げる。

1972

株式会社カインドウェア設立

初代渡邊喜之助のイニシャルを冠した「渡喜」からカインドウェアに社名を変更。「カインドウェア」は、英国の古い本には、品位ある服装、日曜の朝教会などに出かける服装と記されている。

1979

英国王室デザイナー、Ian Thomas氏と技術・デザイン提携

当時、エリザベス女王の礼装御用の7割を担当していたデザイナー、イアン・トーマス氏と提携。トーマス氏がデザインしたものに限り、イギリス王室のロイヤルワラントの使用を許可される。ロイヤルワラントを使用できる日本企業の第1号となる。

1974

世界最高技術レベルの那須夢工房が完成

ウールの名産地であるスコットランドと気候がよく似た栃木県那須に工場設立。長年にわたり、「RALPH LAUREN」のテーラードスーツを世界的なものにしたモデリストである、レオ・ロッジ氏の指導を受け、英国テーラーのパターンとハンドメード技術を継承する。また、フォーマルが世の中に浸透し、7つの自社工場での生産体制が整い、ブラックフォーマルの生産量が世界一となる。

1973

1973

米トップメーカー「HART SCHAFFNER & MARX」と技術提携

当時、全米一の紳士用既製服メーカーだった「HART SCHAFFNER & MARX」と技術提携し、機械化を導入。品質向上とコストダウンを両立し、自社工場の技術水準を欧米並みに高めた。当時は珍しかったコンピューター制御も一部取り入れ、60種以上の機械を駆使して1着の洋服を製作。

婦人フォーマルウェア市場に進出

婦人ブランド「LADIES SOCIAL」がデビュー。多方面から、「紳士の礼服と同じ水準の婦人の礼装が作れないか」というリクエストに応えて展開スタート。女優・多岐川裕美氏をモデルに起用し、しなやかに自己表現する新しい女性の美しさに焦点を当てる。

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Partnering with worldwide-known brands

世界の名だたるブランドと
技術提携し、商品力をさらに向上

1980

1983

1984

1985

4代目渡邊喜雄が経営を引き継ぐ

喜雄が4代目として社長に就任。

世界的ジャズトランぺッターを広告に起用

「SOCIAL」の広告キャンペーンモデルにジャズトランぺッターの日野皓正氏を起用。

リゾートパークから官公庁まで、お客様に合わせた身だしなみを
提案。

アメリカ発のリゾートパーク開業に際し、楽隊の衣装を製作。90年代には、全国有名ホテルのユニフォームの製作・販売で70%以上のシェアとなり、御三家といわれる一流ホテルも担当。企業、学校、官公庁など、幅広いコスチュームの製作・販売を手掛ける。

世界の名だたる
ハイブランドとタッグを組む

ファッションにおける伝統技術と新しい価値を求め、名だたるブランドやデザイナーとの交流を深め、日本におけるライセンス事業を展開。ピエールカルダン、クリスチャンディオールムッシュ、クリスチャンディオールプレタポルテ、バレンシアガなどのブランドが挙げられる。

1986

コシノミチコと共に「MICHIKO LONDON」発表

NHK朝のテレビ小説「カーネーション」のモデルとなった小篠綾子の三女で日本のファッション界の第一人者、コシノミチコと共にカジュアルブランドとして「MICHIKO LONDON」を発表。1987年、両国国技館と大阪城ホールにて2日間のファッションショーイベント「STREET JUNCTION」を開催。計4万3000人以上を集客した。

昭和から平成へ皇室儀礼で宮内庁に納品

昭和天皇の国葬である「大喪の礼」にて、皇宮警察の制服を宮内庁に納品。平成天皇の「即位の礼」では、従事員など関わる方々の制服を製作。同年、日本フィルハーモニー交響楽団のスポンサーとなり、文化事業にも支援開始。

1989

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The big milestone

創業100年の節目が大きな転機に

1990

1991

ロゴマーク変更

国際的グラフィックデザイナー、サイトウマコト氏による新ロゴマークを発表。デザインは、タキシードに蝶ネクタイを合わせたVゾーンをイメージし、そこにカインドウェアの頭文字である「K」と「W」をかたどっている。

世界中の花嫁のバイブルを発行

アメリカで出版されたマーサ・スチュワートの写真集『ウエディングス』に感銘を受け、日本での版権元となり日本語版を発行。これをきっかけに、新たな価値観を持ったウエディング&ブライダル関連の専門学校が設立されるなど、日本のブライダル業界に一石を投じ、現代もバイブルとして親しまれる一冊。

HUNTSMANのデザインポリシー

英国貴族の優雅でノスタルジックなライフスタイルを背景に、気品と技術のある服をインターナショナルセンスでモダンに仕上げ、着る人のライフステージをより生き生きとした輝かせることをテーマにしている。

1992

HUNTSMANのクラフトマンシップ

 長年のパートナー「HUNTSMAN」を友好的買収

長年ビジネスパートナーとして信頼関係を築いてきた「HUNTSMAN」のオーナーである創業家に跡継ぎがいなかったことから、会社買収のご提案を頂き、「HUNTSMAN」社株式100%を取得。「HUNTSMAN」の創業当時から続く、クラフトマンシップとデザインポリシーは現在まで脈々と受け継がれている。

英国の伝統に根ざした、格調高い紳士服テーラードの技術とステータスによる正統派のパターンを駆使し、上品で気品を漂わせるブリティッシュトラッド・スタイルを提案。1人のお客様に最低でも3回の仮縫いを行うことで、お客様が本当に満足される服だけをお仕立てする。お客様の型紙は50年間保管し、次のオーダーの大切な資料とする。

まだ世に「クールビズ」という言葉が浸透する以前の1994年に、時代に先駆けて省エネスーツ「半袖スーツ」をリリース。当時、話題を集めた羽田孜総理のクールビズスーツの仕立ても手掛ける。

創業100周年という節目を迎え、渡邊喜雄は次なる100年に向けた新事業としてヘルスケアブランド「PURANA(プラナ)」を立ち上げる。アパレル事業で培った技術やノウハウを生かし、要介護者が使いやすく、介護者がサポートしやすい、工夫を凝らした商品を開発。ほかにも、防弾チョッキ開発など、100周年に向けたユニークな事業を構想。

「礼服」に続き、ヘルスケア分野でも百貨店の潜在需要を引き出し、事業開始から5年間で全国100店舗を達成。商品開発・販売だけでなく、店舗の設計から販売員の教育にも力を入れ、誰もが立ち寄りたくなる、明るくておしゃれな介護ショップをプロデュース。

1999

ヘルスケア事業開始から5年で100店舗達成

デザイナー中野裕通氏によるブランド「ヒロミチナカノ」とラインセンス契約を結ぶ。

1994

1995

社交服だけでなく、カジュアルウェアも展開

ヘルスケア事業に本格参入

1994

斬新な省エネスーツを考案

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New horizons

国内外に、日本独自のフォーマル文化を拡充

2002

2008

国内外に、日本独自のFormal文化を拡充

皇居御養蚕場で飼育された蚕「小石丸」から交配して開発された品種「新小石丸」の絹を使用したネクタイなど、日本の伝統製法にこだわったアイテムを毎シーズン提案する「粋承技伝」シリーズ開始。同年、婦人フォーマルブランド「MYTIQUE」のライセンス事業開始。団塊ジュニアを中心に若い層を対象に、襟周りのデザインやリボン遣いでフェミニンな表現を拡充した。また、日本の服飾文化を広める活動にも貢献。当時、日本フォーマル協会理事長を務める渡邊喜雄が先導し、日本で発展したフォーマルウェアの概念をアジアへ広める動きを本格化。普及活動の一環として韓国フォーマル協会を設立し、運営をサポート。

Aquascutumのライセンス事業開始

1851年にロンドンで創業したブランド「アクアスキュータム」。優れた職人技術と技術革新でファッション業界の最前線を長年歩んでいる姿勢に共感し、ライセンス契約開始。

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The growth of Healthcare business

軌道に乗ったヘルスケア事業のブランディング強化

2010

2012

2015

2018

2019

平成から令和へ!「即位礼正殿の儀」で宮内庁に納品

令和改元、天皇陛下が即位を宣明される「即位礼正殿の儀」で車列を構成する宮内庁車馬課の馬車乗御員服を製作。

パラアスリートにも「KINDWARE」を

パラ卓球・岩渕幸洋選手へのサポートの一環として、レセプションや講演会などの際に着用するスーツの提供を開始。

1867年パリ発祥、知的な大人のフレンチトラッド・スタイルを提案している「OLD ENGLAND」。「QUALITY FIRST(品質第一)」、「SINCERITY AND CONFIDENCE(誠実と信頼)」という信条に共鳴し、契約に至る。高品質を念頭に、シーンが多様化し、装いも大きく変化する時代に「自分らしさ」「女性らしさ」「若々しさ」という要素を感じさせるフォーマルウェアを提案。

2017

2018

「OLD ENGLAND」とライセンス契約

ヘルスケアブランド「KINDCARE」発表

新シリーズが続々と登場

ニッカウヰスキー創始者・竹鶴政孝氏が現役時代に着用したスーツを現代的にアレンジした「竹鶴政孝スーツ」、通称「マッサンスーツ」を発表。竹鶴政孝氏の孫、幸太郎氏と共に「竹鶴プロジェクト」を立ち上げ、ビスポークで仕立てた1920年代から1970年代までの英国スタイルと縫製技術を再現した。かたやKINDCAREでは、フィンランド最古(1820年創業)のテキスタイルメーカー、フィンレイソンが扱う多種多彩なテキスタイル柄をステッキやシルバーカーに採用した「フィンレイソン」シリーズを開始。

ネイビーリボンキャンペーン実施

東日本大震災で被災された方への復興・支援を目的として、売り上げの一部を岩手県、宮城県、福島県へ寄付。

イタリア最高峰のサルトとコラボレーション

イタリア・フィレンツェで“最高峰”と賞されるサルト、アントニオ・リベラーノ氏が手掛ける「リベラーノ&リベラーノ」の日本発となるマシンメードラインを展開。

展開してきたヘルスケア事業を「KINDCARE」としてブランドを強化。ブランドコンセプトは、アクティブシニアだけでなく、すべての人にとっての「やさしい上質、変わらないライフスタイル、そのためのプロダクト」がコンセプトに。

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Challenging the impossible

5代目・渡邊祥一郎が起こす変革

2020

2022

2022

「装いも心もテーラリングする  
   サロン」を南青山にオープン

日本企業からトランスナショナル企業への脱皮

トランスナショナル企業への転換に向けて、グローバル都市に生まれ変わった虎ノ門に本社を移転し、テーラーブランドロゴもリニューアル。シルクハットからライオンを模したロゴマークにデザインを変更し、店舗の方向性もフォーマルウェアの既製服ブランドからテーラーブランドへとシフトさせた。

KINDWARE本店を南青山へ移転すると同時に音楽やお酒を楽しみながら最高の一着をお仕立ていただくテーラーサロンにリニューアル。「装いも心もテーラリングするサロン」をコンセプトに、20世紀初頭のロンドンの邸宅をイメージしたサロンは、一組のお客様にしっかりと向き合うビスポークスタイルでおもてなし。

新型コロナウルスと闘う医療従事者にエール

新型コロナウィルス感染拡大により、逼迫する医療現場を応援するため日本政府からの発注で医療用ガウン26万着を生産。

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